ハナビ、

ハナが東京砂漠で綴るよたばなしです、英語歌詞翻訳はじめました copyright ©︎ ハナ 2009-2022 all rights reserved.

Pour être heureux!

ミシェル・ルグランが亡くなったそうです。

シェルブールの雨傘」は最も有名でしょうが「ロシュフォールの恋人たち」の溢れる音の洪水も忘れられません。

オリーブ少女たちの憧れカルチャー映画であるゴダールの「はなればなれに」でも、壊れたおもちゃ箱のように軽やかなテーマ曲を奏でてくれました。

このブログのどこかで絶対泣いてしまう映画のワンシーンとして「シェルブールの雨傘」のラストをあげました。

何が悲しいって、それなりの幸せに包まれていても、かつて心から欲しかった幸せはもう絶対に手に入らない、後戻りができないところまで既に人生が進んでしまったということなんですよね。

戦争によって引き裂かれた若い二人。
失われた彼らの愛と夢と希望。
どんなに年月が過ぎても、それらの不在と喪失は、二人の人生にそれぞれひっそりと影を落とし続ける。
二人が互いの子どもにつけた名前がまさにその象徴です。
生きている子どもでありながら、すでに死んだ愛の形見でもある。
毎日呼ぶことになる子どもの名前に、かつての恋人たちの幸せだった日々の片鱗を残すことの意図はなんなのか。
おまけにドヌーブ演じるジュヌヴィエーブの子どもは事実元恋人のギイの実子であるのだから。
毎日子どもの名前を呼ぶたびにかつての恋人とその不在を実感するのではなかろうか。
むしろそうしたかったのかもしれませんね。
忘れたいのではなく忘れないという意志なのかも。
過去の幸せだった日々と、何処かで生きている相手に誠実であろうとする故の。

ロシュフォールの恋人たち」は打って変わって超明るい雰囲気です。
カラフル、ポップ、最初から最後まで夢と希望と愛と歌とダンスにこれでもかってほど溢れてて、みんながみんな、しらじらしいほどハッピーになります。
あいつもこいつもくっついちゃって、まあうまくできてること、的な。
シェルブールが悲劇だったから今度は明るい映画を撮りたかったと監督が言っていたと、どこかで読んだ気がします。
ロシュフォールのサントラのライナーノーツだったかな。

冒頭でかかる「キャラバンの到着」は、かつて車のCMに使われてて、十数秒のうちに曲名のクレジットが出ないかどうか目を凝らして必死に探したのを覚えてます。
当時は今ほどネット社会じゃなかったから曲名なんかすぐわかんないんですよデジタルネイティブの皆さん。
CD屋に行って店員の前で下手したら歌うとかあったんですよ。
しかも店員もそれがわかるくらい音楽オタクであることを期待されるという…
(実際店員に歌ってる人見たことあります。おいそれ普通にビートルズやんけ!って店員でもない私が心の中で突っ込むくらいそこそこメジャーなビートルズの曲でしたが。Get Backとかそのくらいの)
まあとにかく頭の中をその曲でいっぱいにしたくなるくらい、超絶かっこいい曲だったんですよ、当時の私には。

東京は阿佐ヶ谷にある40席くらいしかない小さな映画館でロシュフォールを上映した時には、諸手をあげて観に行ったものです。
感動のあまりリマスターされたサントラを購入し、6畳の狭い自室で、何度も何度も繰り返し聴きこみました。
「夏の日の歌」はフランス語大して習ってないうちからそこそこ歌えてましたっけ。
思えば「愛せよ、歌えよ」という歌詞は、シェルブールのようなわかりやすい悲劇ではないにせよ、かつて悲劇があったからこその、悲痛な願いが込められたものだったのかもしれません。
ロシュフォールの明るい日差しで、悲劇の影を全部消して回ったような、幸せに満ちた映画でした。

この2つのミュージカル映画には、ルグランの音の魔法がアイシングの砂糖のように、全編にわたってもれなくふりかけられています。
時にはスパイスやお酒をきかせつつ。
ひと匙味わうだけで、たちまち魔法のように映画の世界に没頭させられる。

私をわざわざフランスまで連れ出してくれて、ありがとう。
おやすみなさい、天国で。